命が助かったんだけど…

椅子並べしよっと

地震の後は家の中のものが倒(たお)れてしまったり、水害の後は床下(ゆかした)や床上(ゆかうえ)にヘドロや土砂(どしゃ)が入り込んだりしています。もちろんそのままでは生活ができないので、状況に合わせて適切な対応をすることが必要です。

まずは家財の運び出し

家の中で使えなくなったものは家の外に運び出す必要があります。この時家の前の道路を塞(ふさ)がないように、運び出したものはできるだけコンパクトにまとめておきましょう。

床下にヘドロが入っているから、その部屋の家財もどかさないといけないよね。

今後も使える家財は雨などで濡(ぬ)れないように、使える家財を保管する部屋を決めてそこに移動させます。

ヘドロの除去

床下(ゆかした)に入ったヘドロや土砂(どしゃ)は、そのまま放置しておくと家の基礎(きそ)である木材を腐(くさ)らせたり、悪臭(あくしゅう)を放ったりするため、除去(じょきょ)する必要があります。畳(たたみ)を上げ、床板(ゆかいた)をはがして床下(ゆかした)に潜(もぐ)れるようにして、床下(ゆかした)のヘドロや土砂(どしゃ)を除去(じょきょ)します。床下(ゆかした)収納(しゅうのう)がある家の場合は、その収納(しゅうのう)BOXを外せば、そこから床下(ゆかした)へ入れます。

床下(ゆかした)に潜(もぐ)ったら体がドロドロになっちゃった!

ヘドロや土砂(どしゃ)は見た目以上にばい菌(きん)が多いので、撤去(てっきょ)し終わった後は自分の体をしっかり洗いましょう。また、地面が土の場合は石灰(せっかい)、コンクリートの場合は専用の消毒液で床下(ゆかした)も消毒をしましょうね。

側溝の土砂出し

家の周りには家の中で出た排水(はいすい)を外へ流すための通路となる側溝(そっこう)があります。この側溝(そっこう)がヘドロや土砂(どしゃ)により埋(う)まってしまうことがあります。側溝(そっこう)が埋(う)まると、家の中に排水(はいすい)がたまってしまい衛生的にもよくありません。そのため側溝(そっこう)の土砂(どしゃ)を取り除(のぞ)く必要があります。

私の家の前の側溝(そっこう)は、蓋(ふた)が閉まってるんだけど…。

ほとんどの側溝(そっこう)の蓋(ふた)は開けられるようになっているのよ。専用の道具やバールを使うと開けられるのよ。ただとても重たいものもあるから、あやまって蓋(ふた)で指や足を挟まないように注意しましょう。また側溝(そっこう)はほとんどの場合、道に面していますので、車にも注意しながらの作業が必要です。

災害ボランティアセンターの運営

大きな災害が起こった時、市町村やその地域の社会福祉(ふくし)協議会が中心となって災害ボランティアセンターを立ち上げ、ボランティアの受付や、ボランティアニーズとのマッチングを行います。マッチングとは、ボランティアをしたい人と、ボランティアに来てほしい人を引き合わせることです。

なんか難(むず)しそうだね。私にもできることあるのかなぁ?

ボランティアセンターを運営するために、受付用の机や椅子(いす)を並べたり、駐車(ちゅうしゃ)場の誘導(ゆうどう)をしたりと様々な仕事があります。まずは自分の家を住めるようにすることを優先するべきですが、落ち着いたらお手伝いをしてもいいかもしれないですね。

復興のお手伝い

災害の後、壊れた家やまちを元通りにするだけではなくて、地域を今まで以上に盛り上げていくことを復興と言います。

震災復興とかよく聞くよね。具体的にどんなことができるのかな。

みんなと同じくらいの中学生が、学校で「ふるさと学習」として復興に取り組んでている事例を紹介(しょうかい)します。
東日本大震災の時の原発事故で全村避難(ひなん)となった飯舘村の飯舘中学校が、飯舘村の魅力を紹介するCMや地図を作ったり、村の伝統芸能である「田植え踊り」を継承(けいしょう)したりしています。その取り組みは、村の人たちをとても元気にしているのよ。

へえ、すごい。同じ中学生でもここまでできるんだね!

土嚢袋

災害の復旧では家から大量のヘドロや土砂(どしゃ)が出ます。大概(たいがい)の場合これらは決められて場所に置いておけば回収してもらえますが、その際土嚢袋(どのうぶくろ)に入れることが条件となります。(土嚢袋(どのうぶくろ)が必要ない場合もあります)。土嚢袋(どのうぶくろ)は地元の社会福祉(ふくし)協議会からもらえることがありますので、災害時には確認してみてください。

高校生のみなさんへ

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高校生向け

災害復興を機に前よりさらに良いものをつくるという「ビルド・バック・ベター(Build Back Better より良い復興)」という考え方が提唱されています。

「より良い復興」(ビルド・バック・ベター)

「より良い復興」(ビルド・バック・ベター)とは、災害の発生後の復興段階において、次の災害発生に備えて、より災害に対して強靱な地域づくりを行うという考え方である。潜在的な災害リスクを削減するには、できるだけ災害リスクの低いところに住宅を作ることや、都市の構造そのものを強靱にしていく必要がある。災害からの復興段階は、災害から得た教訓を生かし、被災後は、土地利用や構造的な対応など抜本的な対策を取るチャンスでもある。(平成27年版 防災白書)

「人間万事塞翁が馬」ということわざもあります。単に、災害前の状態に戻すのではなく、災害をチャンスに社会を改善していこうという考え方は、世界でも注目されています。

■復興している様子を見てみよう!

東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田市。津波の最大到達点にある桜ラインから撮影された復興の様子を追った定点写真を紹介します。(写真提供、陸前高田市在住阿部裕美さん)

桜ラインとは、東日本大震災の津波最大到達地点に約1000本の桜を植えた桜並木。総延長約170キロに及ぶ。認定特定非営利活動法人「桜ライン311」が陸前高田市に再度津波が襲来した際、市民の命を守り、さらに被害の記憶を後世に伝え残す目的で植樹しました。

 これから一つの場所から撮った写真を一年ごとに紹介していきます。

2013年
津波襲来から2年が経過。がれきがなくなり仮設の電信柱が立っている。中央付近に見える白い線のような所は主に田んぼの表土除去などの処理を行っていた津波堆積物処理施設「湿式選別プラント」。陸前高田市の津波堆積物の推計量は約84万4000トンといわれている(左奥の盛り土はかさ上げではなく残土の仮置き場)

2014年
大きな変化は見られないが、山を削って出た土を陸前高田市市街地に運び入れ、全体的に約10メートル地面を上げる「大規模かさ上げ工事」に向けての準備が着々とすすめられている。後に「かさ上げ」で埋まってしまう「元々」の地面を自由に歩くことができたのはこの年の夏までだった。

2015年
かさ上げ工事が始まっている。右側にある愛宕山を削って「かさ上げ」に使う土を運び出し、盛り土(かさ上げ)の範囲が徐々に広がっている。画像右奥に銀色の長い線は山を削って出た土を運ぶ巨大ベルトコンベア。

※巨大ベルトコンベアによって工期が大幅に短縮
陸前高田市は山を削って出た土を使って、約300ヘクタール(東京ドーム約64個分)の土地を約10メートルかさ上げする「大規模かさ上げ工事」を行っている。土を運び出すのにダンプカーだと10年かかると言われていたが、巨大ベルトコンベアを使用して約1年半で終了した(2014年3月末より稼働し2015年9月中旬に終了)。なお、山を削ったところには今泉地区の住宅地として整備された

左側の愛宕山を削って右側の陸前高田市市街地に土を運ぶ。奇跡の一本松も見える

陸前高田市市街地に張り巡らされた巨大コンベア

2016年
被災前の元々の道路は盛り土の下に埋まり、新しい街の土台が出来上がりつつある。

2017年
約10メートルかさ上げした中心部に大型商業施設「アバッセたかた」がオープン。やっと一つの建物が完成した。

2018年
かさ上げされた町に建物や一般の車が目立つようになり、活気が戻ってきている。

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